2018年6月26日火曜日

ニュースレター002 6月22日の活動報告

ニュースレター002 622日 金曜日

 7時半の朝食を告げるベルが鳴る前にすでに朝食のために全員が大急ぎで降りて来たあの雰囲気は、なんとワイルドな興奮でしょう! ほとんどがすでにローマンカラーを着用し、オオカミのように食事を済ませ、自室に戻って出かける前の最後のチェックを済ませていました。今日は教皇フランシスコの日! 私たちは教皇に会うために、一日フリーになりました。しかも炎天下ですでにへとへとになっている大衆のように100ヤードも離れているのではなく、私たちは近づき、個人的に会い、しかも握手まですることができました。午前930分に、150人全員が三つのバスに乗り込み、ローマへ向けて山から下りました。

 私の乗ったバスの中には祝いの雰囲気があり、朝の重い交通渋滞の喧騒とは全く違う雰囲気になっていました。一時間後に、私たちはバチカンの裏でバスから降り、伝説によれば聖ペトロが頭を下にして十字架にかけられるようにと自ら願いでた偉大なオベリスクの影にある聖ペトロ寺院の中央にまとまって歩いていきました。

 すぐにセキュリティーシステムを通り抜け、そこからたくさん待ちました。午前11時に私たちはスイス衛兵の前を通りました。まるでバッキンガム宮殿の護衛のように赤いジャケットとクマの毛皮の帽子を身につけて、まるで蝋人形のようにじっと動かずにいました。けれど、誰かが写真を撮ろうとすると速攻で止めに来ました。それから階段です。世紀を感じさせる疲れよう! まさかこれを教皇が昇るなどということがありませんように! けれど大理石の中、様々な彩りで描かれた壁を眺め、何世紀もの間にこの同じ場所を多くの人々が歩いてきたことを思うと感慨深いものがありました。上に向かう道は坂が急で、とても長く、とても高く向かっていました。また、とても熱く、サウナを通り抜けてくるかのようにめまいの中で頂上に着きました。ガイドは私たちを休ませてから、輝かしい教皇クレメンス八世ホールに入るようにと招きました。すばらしいフレスコ画と大理石に囲まれた部屋で、一方に教皇が座るための演壇がありました。そして紅いベルベットの材質で美しく飾られた百脚以上の椅子がありました。自分の席に着き、静かに15フィートもあるような脇の扉を見つめて、教皇の入場への期待に胸を膨らませていました。けれど45分もこのような感じでいては座り疲れてきて、皆部屋をうろついて写真を撮り始めました。

 突然座るように言われました。クリュケ師は私たちを紹介するため、グループの前に座っていました。そこで扉が開かれ、教皇フランシスコが二人の司教を脇に従えて部屋に入ると全員が教皇に微笑みかけ、教皇は演壇の自分の席に座りました。クリュケ師はスペイン語で私たちの紹介をし、この素晴らしい機会をいただけて私たち全員がどれほど喜んでいるかを語りました。教皇フランシスコは演壇から降りてクリュケ師に挨拶をし、準備されたスピーチを読み、私たちに感謝し、主の使命への奉仕のうちに行われる私たちの偉大な働きを続け、私たちに先だった死者すべてのために祈ることを意識し、教皇のために祈るようにも駆り立てました。調子が良い時にはいつもするように、テキストを脇に置き、心から語りました。そして、一人ひとり、私たちは前に進み、握手をしました。前もって、教皇はひざまずかれたり指輪にキスをされたり、敬称で呼ばれたりするのを望まないと伝えられていました。彼はただ私たちの目を見つめ、一人ひとりに挨拶をしたいとのことでした。そしてその通りにしてくださいました。兄弟会員の中でほんの数人が、他よりも長めに言葉を交わすことができました。笑いが起こったりしていて、冗談などもあったようです。

 その後で、私たちは皆、町に散らばり、お土産を買ったり、ピザを食べたり、ワインを飲んたりする兄弟もいたようです。それからバスや歩きでコレジオに戻りました。午後530分のネミへの帰りのバスは、この記念すべき日について予想していた以上に不思議なほど静かでした。私は彼に「アイラブユー」と言い、彼は私の目を見つめ、「私のために祈ってください」と言いました。

コミュニケーションディレクター:モデステ・ムニミ

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