新総会長選出ミサの説教
2018年7月4日
皆さんといくつかの考えを分かち合う前に、今の私の気持ちを表現させてください。おとめマリアに捧げる聖体祭儀を通して、個人的な仕方で皆さんにつなげています。私たちは皆、神の母マリアが、他の母親や女性たちのように、気持ちというものが人間としての私たちの生き方の一部であることを思い起こさせてくれます。私にとって一番難しい時間帯は昨日の朝でした。投票の前と最中のことです。私は自分の小グループで自分の名前が挙がっていることに気付いていました。けれど、他の人の名前もよく出ていたので、自分はまだ大丈夫だと思っていました。この三年間、自分の六年のローマにおける総顧問の任期が終わったら、リベリアかフマイタの宣教に派遣されたいと夢描いていました。けれど、昨日の朝の投票で私はひどく取り乱しました。私は自分のことがよく分かっています。神言会のリーダーシップチームという重要な部分をこの六年間担いながら、自分の限界が目立ってきていました。しかも、ハインツ・クリュケ師、アントニオ・ペルニア師、神言会開始の聖アーノルドの時代からのあらゆる総会長たちの後継ぎとなるのは、簡単なことではありません。
こうした不確かさと恐れの悶々とした時間の間、数人の兄弟たちに自分の気持ちを語りました。そこで私は多くの兄弟たちにこう励まされました。「信頼して。神言会にとって一番良いことを知っている主の導きに信頼して」。「シスター・ミリアム・アルテンホーフェンやティム・ノートン師が整えてくれたここ数日のプログラムで識別をしている兄弟会員たちを信頼して」。「信頼して」という言葉が、私を落ち着かせてくれました。ですので、私は今朝、落ち着いた心で投票の全体ホールに来たこと、代議員の皆で決めるものがどのようなものであったとしても受け入れようという開かれた態度で来たのだということを、皆さんに言わなければなりません。
マリアは神の母であり私たちの母でもあるのですが、彼女を見つめながら、私は次のような点を意識するように皆さんを招きたいと思います。最初のものは、信頼です。マリアは信頼から生き、信頼のために生きました。マリアは、神が、よい意向をもって、夫を知らずに子を持つ母となるようにと自分を呼ばれたことに信頼する、というところから生きました。イエスの母としての彼女の苦しみの時に孤独ではないこと、彼女に要求された犠牲は無駄ではなかったことに信頼するというところから生きました。この信頼はマリアの人生の中で明瞭で、彼女は信頼に依っていました。マリアはカナの婚宴で下男たちに、イエスに信頼してその言うことに従うようにと励ましました。復活の後、マリアは使徒たちと共に祈り、イエスが約束したことに信頼をするようにと使徒たちを強めました。
創立者アーノルドの伝記の著書、ヨゼフ・アルト師が言及したように、神に信頼することは、私たちの創立者、聖アーノルド・ヤンセンの三つの主要な特徴のうちの一つです。信頼は、教皇フランシスコが謁見の時に、私たちの霊的刷新のために求められるものとして私たちに語ってくださった三つの言葉の最初のものです。この総会議の主目的として、霊的刷新とは、何よりもまず、主への私たちの信頼を強めることへの招き、呼びかけを意味しています。私たちがみことばに根差せば根ざすほど、私たちの神は信頼のおける神であることに気付けるのです。また、この神は私たちに信頼し、その救いの福音を私たちに託してくださるのです。主への私たちの信頼を深めることは、互いに信頼し合うことに役立つでしょう。私たちの霊的刷新は、崩されてしまった信頼があればそれがどのようなものであっても癒すのを助けてくれるでしょう。リーダーたちと兄弟会員たちの間にある信頼、兄弟会員たちと彼らのリーダーたちや似たような他の状況との間にある信頼です。私たちは仲間の信徒たちとの相互信頼を強める必要があります。私たち一人ひとりが神の御国の目的のためにユニークな賜物を与えられているという信頼を持つことが必要です。私たちの昨日の聖書朗読は、なぜ私たちが神に信頼できたのかを思い起こさせてもくれます。「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」(Iペトロ5章7節)。
マリアに焦点を当てるにあたって考慮する二つ目のポイントは、養成者としての母の役割です。母として、マリアはイエスを養成し、イエスが負うようになっていく自分の使命に対して準備することに影響しました。人々を準備し、若い兄弟会員たちを宣教のために準備するのは、神言会全体にとって重要な役割です。ちょうど昨日の分かち合いの時に自分の小グループで言及したのですが、初期養成も生涯養成も、私たちの諸文化の交わる生活と使命にとって、重要です。これは、信徒の皆さんが神に与えられた自分の尊厳を生き抜き、教会を建てていく共同責任者となるための養成も含みます。
マリアについて言及し続けるにあたって脳裏に訪れる三つめのポイントは、貧しい人々のための彼女の心と配慮です。マリアには、貧しい人々のために鼓動し、人々の窮乏を感じ、人のニーズに向かう必要なステップを踏もうとする母の心がありました。ここでも私たちはカナの婚宴でのマリアの役割を見ることができます。マグニフィカトの中では、女性として、これから母となろうとしている者として、マリアは預言者として声を上げ、ほんものの核心をもって、マリアは低い者、貧しい者が正しく扱われるようになると叫びます。ここで私たちは、宣教師として私たちは人々、特に貧しい人や抑圧された人々の痛みを感じる心、人々の権利を守りながら疎外されている人々を支える方法を探求する心、貧しい人々と共に貧しい人々のために働く手と足が必要である、ということを思い起こさせてくれます。これはイエスの呼びかけであり、わたしたちが創立者や創立世代からいただくインスピレーションであり、この第18回総会議を続けながら私たちが刷新しようとしている献身の約束なのです。貧しい人々や疎外されている人々の中に、私たちは、第一朗読が語っているように、主の御顔を見ます。インテル・ジェンテス、民の間にいること、人々の喜びと希望、悲しみと不安を感じること、最後の者を最初に据えることは、この総顧問の運営に霊感を与え、導いたものです。
四つ目のポイントは、神の母マリアの、共同体づくりを助ける際の役割です。マリアは神の母であり、教会の母です。その教会とは、交わりとしての教会です。兄弟たちと姉妹たち、強い者と弱い者、勇気ある者と怖がりの人から成る共同体としての教会です。修道者として、私たちの強さは私たちの共同体生活にあり、神言会員として私たちの共同体は諸文化の交わるものです。私たちは、異なる民族や文化グループ、国籍からやってきた兄弟として生き、働くための開かれた態度と意図を培わなければなりません。こうした共同体の中で、私たちは互いに、特に困難に直面している者同士でケアし合うことを学びます。私たちの刷新は共同体生活への刷新です。
愛する兄弟姉妹の皆さん、
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