ニュースレター
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・ 第4号:第三週
・ 第5号:第四週、終了
説教
・ 開会ミサ説教(クリュケ師)
・ 教皇謁見講話(教皇フランシスコ)
・ 新総会長選出ミサ説教(ブディ師)
・ 閉会ミサ説教(クリュケ師)
2018年7月20日金曜日
ニュースレター 005 7月13日報告
7月13日 金曜日
ヨハネによる福音12章24‐26節の「麦粒が地に落ちて死なないなら、麦積むのままだが、もし死ねば、多くの実を結ぶ」という麦のパラドックスを中心に、センソン師は「光」と呼ばれるビデオのプレゼンに伴われたキリストに一致するためにこの箇所を用いました。これは、その日の開始の祈りの代わりになりました。ニコラス・センソン師は、その開始の祈りの中で代議員たちに、回想を促す次のような問いにおいて神の現存を感じるために準備するよう促しました。「シモン、ペトロ、わたしを愛しているか?」 問いは、「あなたに感謝します、主よ」という歌に伴われました。祈りの後で、モデステ・ムニミ師によって準備された総会議のプロセスに関するビデオの短いプレゼンが行われました。
ヨハネによる福音12章24‐26節の「麦粒が地に落ちて死なないなら、麦積むのままだが、もし死ねば、多くの実を結ぶ」という麦のパラドックスを中心に、センソン師は「光」と呼ばれるビデオのプレゼンに伴われたキリストに一致するためにこの箇所を用いました。これは、その日の開始の祈りの代わりになりました。ニコラス・センソン師は、その開始の祈りの中で代議員たちに、回想を促す次のような問いにおいて神の現存を感じるために準備するよう促しました。「シモン、ペトロ、わたしを愛しているか?」 問いは、「あなたに感謝します、主よ」という歌に伴われました。祈りの後で、モデステ・ムニミ師によって準備された総会議のプロセスに関するビデオの短いプレゼンが行われました。
小グループでは同じ聖書箇所を用いて朝の8時45分にみことばの分かち合いを始めました。神のみことばの分かち合いの直後に、代議員たちは全体にもどり、聖霊会のシスターたちがこの総会を観察し体験したことについて分かち合うのに耳を傾けました。シャラニ・チャックンモオティルシスターは、神言会の第十八回総会議の一部に組み入れてもらった特権に、神言会と聖霊会の運営側に感謝を示しました。さらに、ここに来る少し前に、送られてきた総会議の資料を読んで既に期待にドキドキしていたと語りました。自ら、つまり自分自身や共同体生活、宣教の刷新の望みと共に、この総会議に与えられた霊的宣教的な強い促しが彼女にとって特に気になるところでした。一方、フアナ・オルテガシスターは、第十八回総会議の一部に招いてもらったことに、神言会のリーダーシップチームに感謝しました。彼女は神言会と聖霊会が、神言会の獅子心を達成するために創り上げてきた協力についてもっと勉強することを期待しています。
ミリアムシスターは、前の議論の間に提案された訂正、コメント、推薦の後での総会議最終文書を提示するようにとカルロス・マカタンガ師に願いました。総会議文書は最終的に私たちの総会議文書、あるいは第十八回総会宣言として代議員たちに最終的に受け入れられました。マカタンガ師はまた、草案作成委員会メンバー全員に、その協力と熱心な仕事ぶりに感謝しました。
その後で、総会議のファシリテーターとしての仕事を終えようとしていたファシリテーターたちの感謝の言葉が来ました。ノートン師は神言会の子の大きなイベントの一部となれたことに感謝し、また、わたしたちの名が私たちの使命であることは、わたしたちと共に働いている聖霊の働きであったと言いました。一方、ミリアム・アルテンホーフェンシスターは、信頼してくれたこと、特に総会議の間に導入した新しい方法論に信頼してくれたことに感謝しました。代議員たちは二人に第十八回総会議のファシリテーターとして果たしたすばらしい働きに大きな拍手を向けました。
クリュケ師は、ペテル・ドゥジツカ師に託された全議事録の承認を促し、これは代議員たちの大きな拍手をもって承認されました。
全員に感謝する前に、退出管区長のハインツ・クリュケ師は、新しいリーダーシップチームの任命をすることになっている任命を受け入れるように兄弟会員たちに求めました。引き続き、総会の間ファシリテーターとして良い仕事をしたミリアム・アルテンホーフェンシスターとティム・ノートン師、総会議秘書のジョン・シュカルスキ師とシュタニス・ロボ師、典礼担当のニック・センソン師とジョゼフ・グエン師、提案委員会メンバーであり、草案構想委員会メンバー、秘書コーディネーターのブディ・クレデン師とマリオ・ラソナベ師、ゾーンコーディネーターの諸兄、台所スタッフ、神言会信徒共働者、聖霊会シスター、アド・ジェンテス・センターのメンバー、コミュニケーションサービス、通訳者、第十八回総会議参加者全てに感謝をしました。
参入総会長のブディ・クレデン師は、全代議員、聖霊会シスターたち、神言会宣教師の仲間たちに、第十八回総会議の成功のためにたゆまぬ支えをしてくれたことに感謝しました。ブディ師はハインツ・クリュケ師に対して、神言会に指針を与えた導きに感謝し別れを告げました。また、他の総顧問メンバーのロバート・キサラ師、グレゴリオ・ピント師、そしてアルリンド・ディアス師にも、神言会のためにしたその奉仕、献身、犠牲に深く感謝しました。終了前に、謙遜に全代議員に、新リーダーシップチームが託された神言会の理念と基本方針を達成するできるように祈り、協力してくれるようにと願いました。ハインツ・クリュケ師は、総会議の議長として、公的に総会議が閉会したことを宣言しました。代議員たちは大きな拍手でこれを承認しました。
セレモニーは退出管区長のハインツ・クリュケ師の主式、新旧総顧問の共同司式で捧げられました。その説教は神と全員への感謝のうちに始められました。「第十八回総会議の終わりにあたり神に感謝するために集まるに際し、神言修道会の名において、ここにおられる皆さん、兄弟会員をはじめ、シスター方、宣教の仲間たち、恩人、全世界で共に歩んでいる人々、皆さんの宣教を可能にするために寛大に分かち合ってくださったすべての人々にも感謝したいと思います。皆さんがいらっしゃらなければ、神言修道会は今日のようではなかったでしょうし、あらゆる生活環境の人々、特に貧しい人たちに奉仕しながら、全世界の多くの国々で行っていることを行うことはできなかったでしょう。今回の総会議の招きは、みことばの生き方と宣教使命について黙想しながらの「弟子性のための指針」を見出すための再手引きであるし、有り続けるでしょう。主の導きを祈り求め続けなければなりません」と。
その説教は、しかしながら、「弟子性のための指針(真福八端)」のテーマに集中しました。真福八端は、ハインツ師が強調したように、ある種イエスに囲まれた内なる伝記となっています。その姿を語るポートレートの一種になっているのです。「弟子性のための指針なのです」とは、ベネディクト教皇が言っていることであり(『ナザレのイエス』74)、最近教皇フランシスコはこれに加えて「『真福八端はキリスト者の身分証明書のようなものです』と加え、『一人ひとり、自分の仕方で、イエスが真福八端の垂訓で語っていることを行う必要性があります』(『喜びなさい、大いに喜びなさい』63)と言いました」。刷新と変化には、命、イエス自身の模範に戻ることが求められます。この基本に立って、「変化の霊性」がその方向性を示すことができるのです。
真福八端(マタイ5章1‐12節):「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。『心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。』」
「『わたしのために、わたしの名において』…最後になってのみ、イエスは自分を中心に据えます。人生の様々なことで埋まってくると、時々私たちは、宣教はイエスのものであって、単純に、わたしたちのものではないということを忘れてしまいます。マザー・テレサがそのシスターたちの仕事について「わたしたちは何かのためではなく、誰かのためにこれを行っているのです」と言った通りです。そしてこの「誰か」が、ネミにおける神言会の第十八回総会議の間、わたしたちに、ご自身を中心に据え直すようにと求めている方なのです。ヤンセン神父の人生のように、主における生活の素朴さと深い信仰は、必要な刷新をもたらし、わたしたちが継続できるようにしてくれるでしょう。
刷新とは、イエスを中心に返すこと以外の何物でもありません。これが、教皇フランシスコが三重の実現すべき務めとして行っていることです。『イエス・福音をわたしたちの中心に据えること、そしてこれには一つの回心、一つの変化が続かなければなりません。主を見つめること、主がわたしたちを呼んだ方であって、わたしたちをもう一度呼んでおられる方であることを思い起こすこと。もう一度出かけて行き、その名において宣教を行うために』。
終りに、教皇フランシスコの言葉を用います。『イエスへの歩みを進めるたびに、わたしたちは彼がすでにそこにいて、両腕を広げて私たちを待っておられることに気付きます。今は、イエスにこう言う時です。「主よ、わたしは騙されてしまいました。何千もの仕方であなたの愛を避けました。それでも、今一度、わたしのあなたとの契りを刷新するために、わたしはここにいます。あなたが必要です…」』(《喜びなさい、大いに喜びなさい》3)。そして勧告の後の方で、教皇は(ヨハネパウロ二世を引用して)こう書いています。『もしわたしたちがキリストの観想から始めてきたのなら、イエス自身が自分のものだと定めることを望んだ人々の顔の中に何よりもイエスを見出すことができなければなりません』(《喜びなさい、大いに喜びなさい⦆96)。それは、貧しい人たちであり、疎外された人たちのことです。『彼(主)に捉えられると、わたしたちは自分のカリスマのすべてを他の人々に奉仕するために用いるように自分を鼓舞します。わたしたちがその愛に駆り立てられていると感じていたいものです(IIコリント5章14節)』(《喜びなさい、大いに喜びなさい》130)。わたしたちの創立者アーノルド・ヤンセンはわたしたちをこう励ましています。『神へのまったき信頼をもって進みなさい。そして改めて、自分の人生を聖なる謙遜のうちに立て直しなさい。そうすれば、神である主はあなたとともにいてくださいます』」。
聖体祭儀は、とても国際的に、また喜びに満ちて祝われました。祭儀の最後に、全代議員たちは最後の祝福の後、派遣されました。これに加え、新リーダーシップチームは退出総顧問たちによって派遣されました。
グラツィエ・ミッレ。サンキュー・ベリーマッチ・トゥー・ユー・オール。マラミン・サラマッ・ポ・サ・イヨン・ラハッ。
新顧問のことば
第11代総会長の感謝の言葉
第12代総会長の感謝の言葉
ニュースレター 005 7月12日報告
7月12日 木曜日
ティム・ノートン師は、グエン・ヨゼフ師を招き、祈りをもって朝のセッションを再開してもらいました。「私の目を開いてください」という題の歌を聴きながら祈りは始められました。その後で、ローマ書12章9‐16節から取られた、「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず…」の部分が読まれました。
祈りの後で、ノートン師は代議員たちに、総会議のプロセスについてできるかぎりで分かち合い、コメントし、評価するために小グループで命の分かち合いをするように求めました。そこでは次のような問いが建てられました。
1.この総会議は霊的体験として理解されているが、自分にとってこれはどの程度その言葉通りになったか。
2.この総会議の間自分にとって最も意味があった体験、最も困難な体験はどれか。
3.自分にとって、自分の管区にとって、神言会にとって、今後キリストの愛が私たちを駆り立て、呼び掛ける方法は何かを言えるか。
4.次の総会議の計画において、この総会議の要素から何を保ち、何を変えることができるだろうか。
10時15分にセッションは再開しました。ノートン師は総会議ファシリテーターとして、ジョン師に前のセッションの議事録を読むように求めました。それを読んだ後で、ノートン師は提案委員会のレハネ師とウェバー師に、代議員たちに対して帰国休暇に関する提案を提示するように求めました。そこでより多くのコメントがなされ、より多く議論し、より多く審議され、最終的に票を取られるためでした。
朝のセッションは小グループにおけるミサで終わりました。典礼の担当はその小グループにありました。小グループの一つで、ジョン・カービー師が主式でしたが、その説教の間に、カービー師は私たちのこれまでの生活を置き去りにし、前に進もうとメンバーたちに呼び掛けました。「今日の福音における使徒たちに対してなさったように、イエスは私たちにも呼び掛けます。彼は引き続き私たちに、過去やこれまでの生活を置き去り、何か新しいものになるようにと呼び掛けます」。私たちは「出向いていく」だけではなく、多くの変化を受け入れ、いつも私たちに対して先に何かを整えている神に信頼するように呼ばれているのです。もしその呼びかけを受け入れなかったなら、もし出向いていなかったら、もし自分の古い生き方の部分に囚われていたなら、私自身の生き方の移行は、もっとずっと困難になり、おそらく不可能になるでしょう。結局、受けたものを置き去りにするです」。
ミリアムシスターは、ジョン師にその前の会の議事録を読むように求めて午後のセッションを始めました。議事録は代議員たちに拍手で受け入れられました。ミリアムシスターは草案作成委員会のカルロス・マカタンガ師とアンドリュース・オベン師に、全体と小グループの提案やコメント、推薦に基づいて作業文書(総会議文書)を議論するようにと求めました。ミリアムシスターは、草案作成委員会のメンバーたちに、大きな拍手で感謝しました。
ファシリテーターのノートン師は、提案委員会のレハネ師とウェバー師に、前の議論で提案された核管区に財政委員会を設置することに関する提案を審議するように求めました。これ以上の議論なく承認された別の提案は、新双顧問運営のための事務開始日のことです。他の提案は総会議への神言会司教たちの参加や、週刊聖書ガイドに関するものを含んでいました。ノートン師は提案委員会のメンバーのすばらしい仕事に、代議員たちの拍手をもって感謝しました。
ミリアムシスターは、ゾーンコーディネーターたちに、ゾーンにおける喜びについて分かち合い活動計画について議論するために近づくようにと求めました。「すばらしい仕事、どうもありがとうございました」とミリアムシスターは言いました。セッションを終える前に、総会長のクリュケ師は、続く六年間における神言会指針を実践に移し続けるようにと代議員たちに呼び掛けました。代議員たちはこの願いを受け入れました。
ニュースレター 004 7月5日報告
7月5日 木曜日
ネミに広がった明け方の太陽のおだやかな日差しが、この総会議の第三周の代四日を始めるにあたり、様々な彩りを生み出していきます。毎朝のように私たちはその日の務めを始めるにあたり朝の祈りのために集まりました。その後、判断基準を統一することを模索し副総会長の責務のために四人の名前を提案するために、識別の態度で、小グループで集まりました。
ネミに広がった明け方の太陽のおだやかな日差しが、この総会議の第三周の代四日を始めるにあたり、様々な彩りを生み出していきます。毎朝のように私たちはその日の務めを始めるにあたり朝の祈りのために集まりました。その後、判断基準を統一することを模索し副総会長の責務のために四人の名前を提案するために、識別の態度で、小グループで集まりました。
10時15分にアルテンホーフェンシスターは小グループから上がって来た四人の名前をスクリーンに映し出しました。改めて、総会長が全体に呼び掛け、選出のプロセスに関する秘密性の緊急性について強調し直しました。シュカルスキ師はそれ以前のセッションの議事録を読み上げ、それは拍手で承認され、選挙の手順についての説明がありました。すぐに投票が行われました。提案委員会の二人のメンバー、ティモシー・レハネ師とマーク・ウェバー師は、決議と提案のプレゼンをし、全体での議論に移すか否かを総会に決めてもらいました。
決議と提案に関する提案をする前に、計画委員会は何度もそうした提案を議論するために集まっていました。全体に持っていくものとして認められたものもあれば、より深く議論するために紹介されたものもありました。議論するために全体で受け入れられたのは次のものです。
決議1.全管区の選挙の同調性について。
決議3.ブラザー召命を推進するために総コーディネーターの職を作ること。
決議4.各管区に財政員会を設置すること。
決議5.財政の扱いに関する内部制御を強調すること。
決議6.総顧問のための財政顧問グループを創設すること。
決議7.宣教の鼓舞と基金調達のための管区レベルでの構造。
また、議論するためのものとして次の提案も承認されました。
提案1.管区に、わたしたちの世界宣教を祝うための日や週末、週を設定すること。
提案2.管区のために総顧問内で基金調達を行うこと。
提案3.修道会のリーダーシップメンバーたちのための日々の祈り。
提案4.第十九回総会議をヨーロッパ以外で行うこと。
提案4.第十九回総会議をヨーロッパ以外で行うこと。
他の提案は議論するためには受け入れられませんでした。
正午に言語グループに分かれてミサがささげられました。グレゴリー・ピント師が洗礼者聖ヨハネ聖堂で英語ミサを司式し、ジアンカルロ・ギラルディ師が地下聖堂でスペイン語ミサを司式しました。
ノートン師とアルテンホーフェンシスターは夕のセッションをまとめ、朝のセッションで全体議論のために受け入れられた提案の一つ一つの輪郭を示しました。その前にシュカルスキ師は前のセッションの議事録を読み上げるように求められました。すぐに決議と提案に関する議論が始められました。意見や説明、質問が分かち合われた後で、決議1と5と6が承認されました。
決議の中には、明文化し明白にする必要性があって延期されるものもありました。
ニュースレター 004 7月4日報告
7月4日 水曜日
総会議の最も重要な活動の一つが行われるという感情の高ぶりの中、参加者たちは第三週第三日目、次の六年間、神言会をそのチームと共に導いていくことになる総会長選出のために集まりました。選挙の前に典礼係による朝の祈りがあり、癒され、清められるようにと求めながら祈るように招かれました。その後で、参加者たちは小グループでコリント書のテキスト(Iコリ12章12-31節、13章1―8節)を分かち合いました。
10時15分に、シスター・アルテンホーフェンをモデレーターに、選挙が始まりました。管区長がプロセスの公式な開始を宣言し、明確な指示をいくつかしながら、秘密性を強調しました。
それからシュカルスキ師が投票の手順を読み上げました。監視員(ンガバ・ベグェム、ピーター・クラヴェル・クワメ・ナル、アンドリュース・オベン・アボアギエ、ワルテル・フェデリコ・リオス)は投票用紙を配り、その時に交互にその用紙が読まれました。10時57分に、クリュケ師は82票を得たパウルス・ブディ・クレデン師が選出されたことを公的に宣言し、こうして彼が神言修道会第十二代総会長となりました。
午後に、アダム・ノッテバウム師によって創設された「シュタイル倫理銀行」チームが銀行とはどのようなもので、どのように導かれるものかを語りました。54年にわたる目覚ましい銀行活動の間、シュタイル銀行は厳しい倫理基準と持続的実践を行ってきました。そのうちの一人が、花を壊すことなく密を得るハチの仕事と比較してこの仕事の要約をしました。銀行は全世界の神言会と聖霊会の宣教活動を支えています。
シュタイル銀行の発表の後、代議員たちは休憩をしてから選出されたばかりの私たちの総会長司式による聖体祭儀に向かいました。
典礼では初めに香炉がたかれ、煙が目に見えるようになると、「ハベームス・スペリオーレム・ゲネラーレム(私たちには総会長がいます)」と発語され、一人の兄弟会員が鐘を鳴らしました。二人の兄弟が新総会長の頭上で聖書を保持し、この機のために準備されたストラがかけられました。この開始の儀式は、ブディ・クレデン師が両手に油を塗られて頂点に達しました。
その説教の中で、ブディ師は「私にとって一番難しい時間は昨日の朝でした。投票の前と最中のことです。私は自分の小グループで自分の名前が出ていることに気付いていました。けれど、他の人の名前もよく出ていたので、自分はまだ大丈夫だと思っていました。」と表現しました。さらに、「こうした不確かさと恐れの悶々とした時間の間、数人の兄弟たちに自分の気持ちを語りました。そこで私は多くの兄弟たちにこう励まされました。『信頼して。神言会にとって一番良いことを知っている主の導きに信頼して』。『シスター・ミリアム・アルテンホーフェンやティム・ノートン師が整えてくれたここ数日のプログラムで識別をしている兄弟会員たちを信頼して』。『信頼して』という言葉が、私を落ち着かせてくれました。ですので、私は今朝、落ち着いた心で投票の全体ホールに、代議員の皆で決めるものを受け入れようという開かれた態度で来たのです」と続けました。
また、養成の重要性を次のような仕方で強調しました。「人々を準備し、若い兄弟会員たちを宣教のために準備するのは、神言会全体にとって重要な役割です。ちょうど昨日の分かち合いの間に自分の小グループで言及したのですが、初期養成も生涯養成も、わたしたちの諸文化の交わる生活と使命にとって、重要です」。同様に、人々、特に貧しい人や抑圧されている人の痛みへの感受性豊かな心の刷新と緊急性に献身することの大切さを強調しました。さらに、自分に二人の兄弟会員が近づいて「あなたが選ばれたときには、聖書のことも貧しい人々のことも忘れないでください」と言ってくれたと語り、それに対して「私はこの言葉が、私がいま皆さんに分かち合ったことを要約していると思います。私たちは、神のみことばと貧しい人々のことを忘れてはならず、貧しい人々の顔に主ご自身の御顔を見ながら、私たちの貧しい人々のための、貧しい人々と共なる働きのうちにある神のみことばの中に、インスピレーションと力をいつでも見出さなければなりません」。
夕食後、新管区長の選出の頂点を楽しみ祝うために、代議員たちは屋外で共に時を過ごしました。
ニュースレター 005 7月11日報告
7月11日 水曜日
主の現存を認めながら、グエン・ヨゼフ師は、「私たちの心は私たちの中で燃えている」という歌をもって開始の祈りを導きました。「私たちと共にお留まり下さい」という祈りが続き、聖ベネディクトの記念と祝いだったので、もう一つ彼の祈りもしました。
総会議ファシリテーターのノートン師は、この日一日中実現される活動について代議員たちにいくつか説明しました。代議員たちは指定の小グループに行って、それぞれのグループに手引きになる二つずつの問いを議論する異なるテーマについて生活のことを分かち合うように言われました。テーマには以下のようなものがありました。養成担当者のための養成、諸文化の交わり、高齢会員の財政とケア、被造物の統合、デジタル世代、そして最後に、専門のスタンダードです。
休憩の後で、午前10時15分に、代議員たちは大ホールに戻り、一つの決議案と議論のための提案リストをいくつか議論しました。ゾーン構造の振り返りと自国での休暇についてです。友情と感受性に満ちた議論は朝の11時55分まで続きました。
朝のセッションはヨーロッパゾーンによって盛り上げられ、フランツ・ヘルム司祭によって司式されたミサで閉じられました。ヘルム師は、わたしたちの総会議が刷新と変容についてのものであると繰り返しました。「私たちはすべてを捨ててあなたに従ってきました」と、今日の福音朗読の中でペトロはイエスに言いました。そして「私たちにとって何があるだろう」という問いを加えました。わたしたちには、もし本当にすべてを捨ててイエスに従うなら、刷新と変容があるでしょう。私たちの主であり救い主である方に従うことは、わたしたちの人生の決定的瞬間に限られた体験であるだけではありません。それは、諸国民間を生き、最後尾のものを最前面にしつつ、イエスの弟子であり民のための宣教師であるようにという日々の挑戦です。毎日私たちは「みことば」に根ざし、主の宣教に改めて献身する必要があるのです。
午後のセッションは四時にシスター・ミリアムの呼び掛けで始まりました。ファシリテーターは総会議秘書のジョン師に、草案を読むように願い、訂正なく代議員たちによって承認されました。その後、アリアム・シスターは、第十八回総会議の作業文書について情報を提供するために草案委員会のカルロス・タンガ師とアンドリュー・オベン師を呼びました。詳細に入る前に、マカタンガ師は総会議の目的を紹介しました。
第一章:神の愛が私たちを駆り立てている。
第二章:識別:霊的刷新。
第三章:その宣教使命に献身して:刷新と変容の証しを示しながら。
この作業文書は、わたしたちの経験の中で聖霊が私たちをどこに導くのかを理解するための識別のプロセスに導く対話を強調する結びの部分と、刷新のプロセスを始めるために用いられる方法論を中心とした付録の部分とで締めくくられています。以下に見られる二つの方法論はそれぞれの当該共同体や管区の文脈に適応したり活用したりすることのできるものです。方法論その一:見る、判断する、行動する、評価する、祝う。方法論その二:文脈的現実、体験、識別、献身の約束、刷新、変容。
草案作成委員会の情報を聞いた後で、第十八回総会議の作業文書に関して代議員たちの結論や提案について分かち合い、議論するために小グループに戻るようにと促されました。
ニュースレター 005 7月10日報告
7月10日 火曜日
ニック・センソン師は、一日のセッションを再開するためのしるしとして、「今回は私たちの心を改めます」という題の歌を使ってとてもクリエイティブな祈りを通して代議員たちの環境を整えました。その後で、わたしたちは自分の小グループに向かい、みことばの祈りの読書をし、そこで総顧問メンバーを選ぶ前に神のみことばの分かち合いを深く喜びに満ちて回想しました。
午前10時15分に、改めて選挙のために全体で集まりました。総会議の議長、クリュケ師は、選挙を始めるためにセッションを命じました。代議員達は三人目の代議員を選ぶための手引きを受けました。ポーランドはオポルのシュトルゼルセ出身エリック・コッパ師の選出は、問題なく繰り広げられ、二度の投票で終わりました。コッパ師は、司祭叙階後、メキシコに宣教師として贈られました。何年もの宣教の後で、倫理神学の資格を得るために送られました。研究の後で、ポーランドに戻り、養成担当者と神学校の指導司祭に1998年から2007年の間任命されました。養成担当者に加えて、2003年から2007年の間、管区顧問に選ばれました。その任命の後、コッパ師は2007年から2013年の間、管区長秘書に任命されました。その後、2013年に管区長に任命され、現在に至ります。
四人目の管区顧問は、ブラジル北館区出身のリベイロ・アンセルモ・リカルド師になります。代議員メンバーではありませんでしたが、PANAMゾーンの代議員から、候補者として名が挙げられました。管区での仕事と活動が、総顧問レベルに至るための理由になりました。1974年に生まれ、総顧問の最年少メンバーとなりました。リベイロ師は、二期にわたりブラジル北館区の管区長になりました。現在は、サン・ミゲルの黙想の家で働いています。
短い休憩の後で、代議員たちは午後4時にセッションのホールに戻り、神言会の将来の方向性について議論し始めました。議論はサブゾーンから始まり、ゾーンレベルにすすみました。今日の議題はミサをもって締めくくりました。そのテーマは「調和を推進するためのミサ」で、ジョセフ・マチオレク師が英語ミサ、ジョアン・バチスタ・オリヴェラ師がスペイン語ミサを司式しました。
主よ、あなたの導きと照らしに心から感謝します。私たちはついに、神言会の新しいリーダーシップチームを全員整えることができました。聖アーノルド・ヤンセン、聖ヨゼフ・フライナーデメッツ、感謝します。私たちのためにお祈りください。
ニュースレター 005 7月9日報告
7月9日 月曜日
一日を始めるにあたり、ニック・スィングソン師は代議員たちを朝の祈りに導きました。その後、みことばの祈りの読書のために小グループに分かれるように願いました。10時15分に代議員たちは、総顧問どの第一、第二者を選ぶために前大会に改めて集まりました。しかしながら、選出を始める前に、ファシリテーターのミリアン・アルテンホーフェンシスターは、「聖なる土地」という名の歌を聴くようにと代議員たちを招きました。
クリュケ師は、総会議の議長として、総会議秘書のジョン・シュカルスキ師に、選挙のルールと手順を読むようにと願いました。選挙は問題なく行われ、事実、投票はたった一回で第一総顧問にグイ・マソラ・ミド修士を選びました。グイ修士は2012年から総顧問メンバーでしたが、今日、7月9日に、神言会の修道しの代表として再選されました。彼はコンゴ共和国出身です。フィリピン中央管区で宣教師として活動し、修練長補佐を務め、神言会の友グループの担当者でした。その後で、この後に戻り、養成チームのコーディネーターに任命されました。2005年に、今後管区の管区長代理をし、2007年にAFRAMゾーンの養成領域のコーディネーターに任命されました。2012年にコンゴ管区の顧問に選ばれました。2012年の総会議中に、総顧問に選ばれました。
第二総顧問の選出はかなりゆっくりで、絶対多数を獲得するまでに三周必要でした。ジュード・ライムンド・フェスティン師が私たちの第二総顧問に選ばれました。フェスティン師はフィリピンのロンブロン出身です。司祭叙階の後、フェスティン師はアンゴラ管区に宣教師として派遣されました。その管区はベルギーのルーヴァンでハイヤースタディを続ける機会を与えました。勉強の後に、アンゴラに戻り、小教区の助任司祭をしながら教師をしました。2012年に、フィリピン中央管区に戻り、そこで養成担当者の補佐をしながら、哲学の教師を務めました。2014年に、王たるキリスト神学院の院長に任命され、同時に、フィリピン中央管区の顧問メンバーになりました。2017年に、同管区の管区長に選出されました。
総会議の共同ファシリテーターのミリアン・シスターは、セッションを始めるように呼び掛け、その後でノートン師はティム・レハネ師とマーク・ウェバー師を提案委員会の代表に選び、その後の議論のために準備された決定と提案を全体に紹介することになりました。賛否の確認をして終わりました。全体での疲弊する議論の後で、決議と提案で承認されたものも、さなかったものもありました。
セッションは前総会長アントニオ・ペルニア師の司式のミサで終わりました。その説教のノア課で、神言会の宣教師として、福音を告げ知らせるためだけではなく、わたしたちの世界にある悪いニュースを良いニュース(福音)に変えるように私たちは呼ばれているのだ、ということを強調し。マリアのように、「私は主のしもべ、みことば通りに私のうちになりますように」と叫ぶことができるようになってはじめて、これを行うことができるのだと言いました。
2018年7月19日木曜日
ニュースレター 005 7月7日報告
7月7日(土)
総会議第三週土曜日の晴天の朝、小グループで聖書の分かち合いに行く前に、朝の祈りのために代議員たちは集まりました。聖書テーマは、「土の器にある宝」(IIコリント)です。
小グループから戻って、代議員たちは、調査投票を通して総顧問の候補者の命名開始を待ってそわそわしていました。
投票の前に、午後は自由になることが告げられ、強い拍手でこれが受け入れられました。その後で、シュカルスキ師は、その前のセッションの議事録が読まれ、拍手で受け入れられました。その後で、選出総会の議長側から、この具体的な投票のための手続きを読むように求められました。今一度、秘密性のテーマを思い返させました。議長は投票用紙を配布するようにと求めました。117人分配布され、116人分が集められました。
この投票の後で、言語グループごとにミサに向かいました。英語ミサはゲオルグ・クレメント・アングモル師が、スペイン語ミサはホセ・フェルナンド・レイス師が捧げました。
ニュースレター 005 7月6日報告
7月6日(金)
この日、代議員たちは副総会長を選ぶという重要な務めのために、大ホールに集まりました。シスター・アルテンホーフェンは、この日の活動に関するパノラマを広げ、すぐに朝の祈りに移りました。歌を歌い、祈りの雰囲気の中で私たちは小グループに分かれ、聖書を分かち合いました。短い休憩の後で、わたしたちは改めてこれまでの諸セッションのまとめのためにホールに集合しました。改めて、選出のプロセスの秘密性のテーマを銘記しました。すぐに総会の議長であるクリュケ師にマイクがゆずられました。クリュケ議長は総会議秘書に、選出の手順を読ませ、代議員の一人ひとりが秘密性を託された主体であることを強調しました。
議長は、そこでその作業の進み具合の看視者を紹介しました。選ばれた候補者がその選出を受理する言葉を耳にしたあとで、クリュケ師は、97票を得たジョゼ・アントゥネス・ダ・スィウヴァ師を公的に副総会長として宣言しました。10時56分でした。
続くセッションでは、神言会の四人の信徒の総会議体験の証しがありましたが、その分かち合いの前に、小グループで神言会の信徒共働者に関してなされた議論のまとめの外観が紹介されました。ガーナのパトリック・ロノさんは、総会議への参加の機会に感謝しました。ドイツのゾフィー・ヴェゴさんは、友好的な集いであったことを取り上げました。総会議はインドのスーザンさんに、「この家族の一部」と感じさせ、合衆国のレン・ウハルさんは、「何が待ち受けているか何も分からずに来ましたが、とても温かい歓迎を体験しました」と言い、セッションの間も、議論の間も、一瞬たりともつまらないと感じる時はなかったと加えました。その後で、ファシリテーターは何か驚いたことはなかったか尋ねました。パトリス・ロノさんにとっては、選挙の導かれ方に驚き、もし世界でここで行ったようにするなら、物事はより良いものになっていただろうに、と言いました。レン・ウハルさんは、修道会に協力するグループがこんなにもあるとは知らなかったと言いました。そして児童性虐待のケースに関連して神言会が行っていることに感謝しました。スーザン・ノロニャさんは、様々な共働グループに、統一した名があったらいいと勧告し、パトリス・ロノさんは、総会議の議論と結果は草の根レベルのことを意識しながら実現されるべきだとまとめました。ゾフィー・ヴェゴさんは、総会議のよいメッセージが言葉でとどまらず、具体的な現実で実践に移されるようにと望みました。スーザン・ノロニャさんは、全管区が信徒共働者グルーぷを持つようにと勧めました。ラザル師は、信徒共働者たちと共に、宣教体験のために他の国々に派遣されている神と宣教者たちも存在しているとコメントしました。
こうした証しの後で、クリュケ師は全代議員の名で「皆さんは私たちの心に触れました」という言葉で信徒たちにその参加に感謝しました。この日の作業は主の祈りをもって締めくくられました。
選出されたばかりの副総会長の司式で、主の洗礼の記念のミサが洗礼者ヨハネ聖堂で正午に捧げられました。典礼の初めに、復活のろうそくが灯され、副総会長の頭上に置かれました。その後、参列者は彼の上に手を伸ばしました。その説教の中で、彼のガーナ時代の体験とポルトガルでの体験が思い返されました。両方ともその人生の方向性に強く刻まれた体験でした。
午後四時に、ノートン師は夕のセッションをはじめました。総会議秘書はその前のセッションの議事録を読み上げ、受け入れられました。ノートン師は財政や総会計の提案を扱うテーマを導入しました。この二つの情報に関する小グループの会話の結果がスクリーンに映し出されました。両秘書たちは、代議員たちの問いに答えました。
午後5時45分に、作業文書に関するセッションがありました。その前に同じ文書に関する議論は、スクリーンに映されました。小グループは作業文書に関して分かち合うために集まりました。
夕食後、「ジェラート(アイスクリーム)」を求めて出る人も、ブラジルvsベルギー戦を観戦するために残る人もいました。
2018年7月14日土曜日
7月14日(土) 第十八回総会議閉会ミサ説教
第18回総会議 閉会ミサ
2018年7月14日 土曜日
「その名において - 弟子性のための手引き(真の幸福)」
回心への招き
愛する兄弟会員、シスター方、宣教における仲間の皆さん、
私たちの第18回総会議の終わりに当たって、三位一体の神に、わたしたちの間にいて下さったこと、審議のうちに、また兄弟的出会いのうちにいて下さったことを感謝するために集まりました。未来は、神の導きに依拠し続けており、同時に、主の名において識別し、その使命を果たしながら、創造的な刷新や新しいパラダイムのためのスペースをゆるしながら、わたしたちの生き方や習慣を変えるための開かれた姿勢にも依拠し続けています。わたしたちの総会議は、キリストの愛に促され、み言葉に根ざし、新たにその使命に献身しながら、「主の生き方がますます私たちの生き方になり、その結果として主の使命が、ますます私たちの使命となっていく」という展望を示す刷新の歩みにおいて重要な一歩です。この閉会の感謝ミサを始めるにあたって、わたしたちが歩みにおいて最も必要とするもの、つまり、そのいつくしみと共感を神に求めましょう。主よ、あわれみたまえ…
説教
愛する兄弟会員、シスター方、宣教における仲間の皆さん、
第十八回総会議の終わりにあたり神に感謝するために集まるに際し、神言修道会の名において、ここにおられる皆さん、兄弟会員をはじめ、シスター方、宣教の仲間たち、恩人、全世界で共に歩んでいる人々、皆さんの宣教を可能にするために寛大に分かち合ってくださったすべての人々にも感謝したいと思います。皆さんがいらっしゃらなければ、神言修道会は今日のようではなかったでしょうし、あらゆる生活環境の人々、特に貧しい人たちに奉仕しながら、全世界の多くの国々で行っていることを行うことはできなかったでしょう。今回の総会議の招きは、みことばであるイエスの生き方と宣教使命について黙想しながらの「弟子性のための指針」を見出すための再手引きであるし、有り続けるでしょう。主の導きを祈り求め続けなければなりません。
この閉会ミサのために選んだ福音個所、真の幸福に対するいくつかの考えを加えさせてください。「真福八端は、一種の啓示されたイエスの内なる伝記、一種のその姿のポートレートとなっています。…弟子であるとは、ということに関するインストラクションなのです…」と教皇ベネディクトは言っています(『ナザレのイエス』74)。さらに、最近、教皇フランシスコは「真福八端はキリスト者の身分証明書のようなものです」と加え、「一人ひとり、自分の仕方で、イエスが真福八端の垂訓で語っていることを行う必要性があります」(『喜びなさい、大いに喜びなさい』63)。刷新と変化には、イエス自身の生き方と模範に立ち返ることが求められます。そこから、わたしたちは「変化の霊性」へと向かうことができるのです。
真福八端 - マタイ5章1‐11節
1‐2節:「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた」。象徴的に語ると、この数十年、個人的、あるいは会の宣教修道生活を振り返り、刷新のコースや総会を行う為にネミに来た兄弟会員の多くにとって、そうしたコースはある意味、山の体験でした。主ご自身との新しい出会いの時、再考し学び直す時でした。これは第十八回総会議にとっても、同様なものになれたのではないかと思います。
3節:「心の貧しい人々は、幸いである」とイエスは言いました。
A. 神の前で自分自身の貧しさを受け入れることを学ぶことは、宣教修道者としてのわたしたちにとって、重要な務めです。ネミコースの後、様々な兄弟会員たちが、自分の生き方の真の意味、つまり神に奉仕することの意味を見出したと言ってくれました。それも、自分の貧しさや限界、罪のすべても受け入れて、場合によっては闇の中で歩きつまずきながら、正確にはどこにその道が向かっているのか、どこに導かれていくのかも知らずに、と言ってくれました。
ネミに来た兄弟の多くは、わたしたちが行えないこと、あるいは教皇フランシスコの言葉を借りれば「わたしたちがダメにしてきたこと」の責任はわたしたちにあるのではなく、主ご自身である、ということに今一度気づきつつ、この経験を持って家に帰ります。これは単なる道具になる体験であって、それで残りを神自身に信頼しきることができるようになります。さらに、これは多くのこれまでの総会議の間に私たちの理解となってきたものです。
B. 修道会として、わたしたちの幅広い建造物や信託基金、投資や保険政策にもかかわらず、神の前では、単に自分たちの貧しさを認識しなければなりません。結局、すべてが神によるのです。召命が無ければ、修道会は長年存続し続けないでしょう。もし主が寛大な人々の心に触れなければ、その仕事をするための方法を持つことはないでしょう。もし主がその和解の恵みを分かち合ってくださらないなら、癒しも協力もなかったでしょう。主がその主導権を持つに任せること、休符を入れること、識別すること、「主がわたしたちにしてほしいことは何か」を定期的に自問することは、想定される刷新と変化をもたらすことでしょう。この霊における貧しさを受け入れる人々にとって、イエスが言うには、「天の国はその人たちのもの」なのです。
4節:「悲しむ人々(泣く人々)は幸いである…」
A. 悲嘆は、周知のとおり、人生の苦しい部分です。誰も逃れられません。わたしたちは多くの理由で悲しくなります。愛する人の喪失は私たちの存在そのものの基盤を揺るがします。…しかしながら、しばしば悲嘆は一つの贈り物をもたらすこともあるのです。それは他の人々の必要に対するより大きな感受性というプレゼントです。というのも、あなたは自分の痛みの話しを思い起こすことになるからです。わたしたちにとっての愛する人や重要な人の喪失に加えて、友人や好みの使徒職、仕事の任命や構造を手放さなければならないという経験もあります。「宣教者はいつでも永遠のさよならを言わなければならない」とは、ある兄弟会員が私に言った言葉です。
B. 教会一般や私たちの修道会の最近の歴史のなかで多くの痛みを生んだ最も悲しい出来事の中に、何人かの兄弟会員による年少者に対するハラスメントや財政の悪管理、文化的無感覚、貧しい人たちの困難な状況に対する無関心、緊急に変わらなければならないことを帰るための開かれた姿勢の欠如などがあります。それでも、こうした問題に向き合うことは、多くの会員、特にリーダーシップの任を負っている人たちを、犠牲者たちや苦しむすべての人の必要に対してより感受性豊かにしました。
こうしたことをなぞり、対処できることをするのに加え、イエスは面倒を見、変えて下さる神の現存に信頼するようにとわたしたちを招きます。泣き、出発するに任せることを学ぶ人々は、慰められるだろうと言います。
5節:「柔和な人々(暴力を振るわない人々)は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。」
A. フィリピン南管区での私の最初の宣教で、多くの暴力を見ました。1986年に、軍事国家は終わりましたが、それでも世界の他の場所で似たような状況の良く知られた関連のことすべてをもって闘いや抑圧は続きました。私はすぐに、暴力は暴力に対する相応しくない応え方だが、それでは平和も正義もなく、結果として、発展もない、ということも学びました。和解の意味は、わたしにとって、わたしたちキリスト者の信仰の鍵となるメッセージになりました。
皆さんには皆さん自身の経験があるでしょう。正義を行わなかった者をゆるし、忘れることは、どれほど難しいことでしょう。
B. この六年間の私の訪問の間に、宣教師たち、もと兄弟会員たち、信徒の宣教の仲間、特に私たちの宣教活動において信頼されてきて、暴力や不正に抑圧されてきた人たちと話しをしてきました。暴力をもって暴力に応えず、正義と和解のあり方を模索することは、総会議の後に来る時のためのたゆまぬ挑戦です。個人レベルでも、わたしたちの共同体でも、世界一般でも、あらゆるレベルでの対立を取り扱うようにとの呼びかけが存在しています。イエスは、もし彼に信頼を置くならば、人間の手を介しては達することができないことが、恵みによってもたらされると言っているのです。
6節:「義に飢え渇く人々は、幸いである…」
A. 人々、特に貧しい人たちの近くで生きると、この正義の飢えや渇きが感じられます。あまりにしばしば私たち修道者の組織や建造物は人々から安全な距離を保ちます。そのようにして、飢えも渇きもなくなります。しばしばこんなコメントを聞きます。「もう十分やってます」、「結局何も変えられないんです」。宣教修道者として、わたしたちは自問できます。「正義の飢えと渇きは私たちの生活の一部であり続けているだろうか」と。過去において、ネミの刷新コースは兄弟会員たちがこの正義の飢えと渇きを体験し直すのに役立ってきました。総会議後の時間も、この正義の飢えと渇きを再発見することは、どのような刷新のプロセスにおいても重要な役割を果たすでしょう。
B. わたしたちのような宣教修道会は、多くの国々で苦しむ人々、搾取されたり貧しくされたりした人々のそばにいるので、正しいことへの飢えと渇きをあきらめたままにするわけにはいかないのです。もしそんなことをしてしまえば、速攻で神言会は無意味なものになるでしょう。「この世界がより良い場所になるようにと貢献し、物事をより良くするために私たちには何ができるだろうか」。…こうしたことを問う人々は、「満たされる」だろう、とイエスは言っています。
7節:「憐れみ深い人々は、幸いである…」
A. 聖書の物語の多くが、とても具体的に神のいつくしみと憐れみを示しています。サマリア人の話しは、一つの譬えに過ぎません。展望の変化を提案しています。最初の問いは、「わたしたちが立ち止まって助けたらわたしたちには何が起こるのだろう」であってはなりません。むしろ「もし私たちが見て見ぬふりをして通り過ぎたらその必要にある人はどうなってしまうのだろう」でなければならないのです(マルティン・ルーサー・キング)。立ち止まることも助けることもなく通り過ぎるのは、マンネリ化した罪です。そのように、わたしたちは必要にある人々の前を通り過ぎ、苦しみの環境にいて目を閉ざしているのです(『ラウダート・シ』)。わたしたちが通り過ぎてしまった自分の話しを思い出すこともできるでしょうが、きっと、立ち止まり、助けたという話しももっとたくさんあるでしょう。また、わたしたちが必ずしもいつもサマリア人なのではなく、時にわたしたち自身がよきサマリア人を必要としていることに気付くことは重要です。
B. 「神言会のような修道会のない世界は、もっと貧しい場所になっていただろう」とは、何度も私が分かち合ってきたことですが、この考えは世界中の国々で宣教師の皆さんを訪問しながら私の脳裏に浮かんだものです。神が修道会を必要にある人々を数多く助け、その信仰を強め、その生きる意味を見出し、尊厳ある教育を受け、情報に通じさせ、健康のためのケアを受け、正義や人がそれなしでは生きられないこと、特にいつくしみや憐れみを獲得するようにするための道具として用いていることは、当然すぎるほど当然です。通り過ぎない人々、憐れみ深い人々は、憐れみを受ける、とはイエスの言っていることです。
8節:「心の清い人々は、幸いである…」
A. 神を見ることのできる状態は、見いだしづらい条件と共にやってきます。清い心です。わたしたち自身の生活に、たゆまず長続きのする変化を導入することは、難しいと知っています。悪い習慣や悪いこと、ミサの回心の儀で口にしている「思い、言葉、行い、怠り」を変えることは難しいものです。回心のたゆまぬ務めがあるのです。
B. 「神言会の心」を清めるために必要なことは何だろうか。今一度、この心を清めてください。傷ついた会員を癒してください。無責任な兄弟に立ち向かってください。悪い習慣を変えてください。相応しくない構造やプログラムが終わりを告げ、新たに始められるようにして下さい。教会も各修道会もこうした刷新を必要としています。それはふさわしい時期でしょうか。兄弟会員たちには心構えができているでしょうか。私の心構えはどうでしょうか。こうした問いは、第十八回総会議の終わりにも、これから先にもできる問いです。これが生じるようにと認める時のみ、神を見ることになるのです。もう一度イエスの生き方と宣教を、皆さんの生き方と宣教にすることはできますか。
9節:「平和を実現する人々は、幸いである…」
A. 平和の内にいること。ネミでの総会議の後、と平和を携えて家に帰ること、そしてどこでどのように平和を見出すことができるかを学んで帰ること。これは、前にここに来た多くの人に生じたことです。…自分たち自身や他の人々、神と平和のうちにある兄弟たちも、国際的で諸文化の交わる私たちの宣教修道共同体において重要な証し人なのです。わたしたちの仲間の信徒たちにとっても重要ですが、神言会のより若い世代がその宣教修道生活において意味を見出すためにも重要です。きっと若い人たちが一つになり、他の人たちが継続できるようにするのを助けるのに貢献するでしょう。平和の内にいることは、共に生活し仕事をする在り方において違いを見せることになるでしょう。
B. 何世代もの間、世界の多くの場所で、わたしたちの修道会は平和建設に貢献してきました。しかしながら、今日の私たちの世界でどれほど平和が不足しているかも知っています。そのために祈り続けましょう。けれど、わたしたちの側でしなければならいことはしましょう。わたしたちは、神の唯一の子らなのです…
10節:「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」
A. 義のテーマが再び戻ってきます。わたしたち自身の生活において、正義が重要なことは分かっています。しかしながら、わたしたち個人の生活においても、修道会においても、一般的に世界においても、単純に、多くのことがよくありません。
B. 物事をどうまっすぐにできるか、一般に私たちの世界でも神言会においても物事をよくするにはどうすればいいか、自分の居心地のいい領域や最低限のもので満足しない状態から出ていくように兄弟会員たちを盛り上げるにはどうすればいいか、といったことは、祈りを必要とする挑戦です。そこには対話も、誠実に向き合うことも求められます。それは長く、たゆまず、一生をかけて行われるプロセスであって、総会議をすれば終わるものではありません。
11節:「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
A. 「わたしのために、わたしの名において」…最後になってのみ、イエスは自分を中心に据えます。人生の様々なことで埋まってくると、時々私たちは、宣教はイエスのものであって、単純に、わたしたちのものではないということを忘れてしまいます。マザー・テレサがそのシスターたちの仕事について「わたしたちは何かのためではなく、誰かのためにこれを行っているのです」と言った通りです。そしてこの「誰か」が、ネミにおける神言会の第十八回総会議の間、わたしたちに、ご自身を中心に据え直すようにと求めている方なのです。ヤンセン神父の人生のように、主における生活の素朴さと深い信仰は、必要な刷新をもたらし、わたしたちが継続できるようにしてくれるでしょう。
B. 刷新とは、イエスを中心に返すこと以外の何物でもありません。これが、教皇フランシスコが三重の実現すべき務めとして行っていることです。「イエス・福音をわたしたちの中心に据えること、そしてこれには一つの回心、一つの変化が続かなければなりません。主を見つめること、主がわたしたちを呼んだ方であって、わたしたちをもう一度呼んでおられる方であることを思い起こすこと。もう一度出かけて行き、その名において宣教を行うために」。
終りに、教皇フランシスコの言葉を用います。「イエスへの歩みを進めるたびに、わたしたちは彼がすでにそこにいて、両腕を広げて私たちを待っておられることに気付きます。今は、イエスにこう言う時です。『主よ、わたしは騙されてしまいました。何千もの仕方であなたの愛を避けました。それでも、今一度、わたしのあなたとの契りを刷新するために、わたしはここにいます。あなたが必要です…』」(『喜びなさい、大いに喜びなさい』3)。そして勧告の後の方で、教皇は(ヨハネパウロ二世を引用して)こう書いています。「もしわたしたちがキリストの観想から始めてきたのなら、イエス自身が自分のものだと定めることを望んだ人々の顔の中に何よりもイエスを見出すことができなければなりません」(『喜びなさい、大いに喜びなさい』96)。それは、貧しい人たちであり、疎外された人たちのことです。「彼(主)に捉えられると、わたしたちは自分のカリスマのすべてを他の人々に奉仕するために用いるように自分を鼓舞します。わたしたちがその愛に駆り立てられていると感じていたいものです(IIコリント5章14節)」(『喜びなさい、大いに喜びなさい』130)。わたしたちの創立者アーノルド・ヤンセンはわたしたちをこう励ましています。「神へのまったき信頼をもって進みなさい。そして改めて、自分の人生を聖なる謙遜のうちに立て直しなさい。そうすれば、神である主はあなたとともにいてくださいます」。
神言会の新顧問メンバー
神言修道会の新総顧問
2018年7月10日、第十八回総会議のためにイタリアのネミにあるアド・ジェンテス・センターに集まっていた神言修道会の総会議代議員たちは、総会議の全メンバー選出を終えました。
次の6年間(2018年から2024年)の神言会のリーダーシップチームは、次の兄弟たちによって成り立ちます。
総会長:パウルス・ブディ・クレデン
副総長:ジョゼ・アントゥネス・ダ・スィウヴァ
勧告者:サヴィエル・ティルクドゥムバム
総顧問:グイ・マソラ・ミド
総顧問:ジュード・ライムンド・フェスティン
総顧問:エリック・コッパ
総顧問:アンセルモ・リカルド・リベイロ
新しい顧問運営は2018年9月からその任を受けて始動することになります。
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